飛行機事故

あれから33年も経つ。あの飛行機に乗るはずだった私は数年前まで事故のニュースや映画などを避けていた。

お盆休みに東京、大阪と友人を訪ねてひとり旅。最終日に大阪の友達に会う予定だったが、当時は携帯もなく連絡がつかなかったので1日早いが帰ろうと思い、18時発の123便を一時間前にキャンセルして同時刻発の福岡直行便へ変更。

搭乗口で並んでいると私が乗る飛行機は機内調整のため5分ほど遅れますとアナウンスがあり、123便の搭乗を見送った。映画に出てくるような外国の家族をみて変更しなきゃ良かったかなぁなどとミーハーな感覚だった。その後起こることは予想もつかず。

ベージュの上着を着たサラリーマンがギリギリに走り込んできた。係りの人が大きく右腕を回して『急いでください!まだ間に合いますから!』と。

数分遅れで私も飛行機に乗り込んだ。離陸直後から雷雨で飛行機もかなり揺れ、怖かったことを覚えている。

福岡空港へ到着し、食事をしてから帰宅。小さなアパートのドアを開けると電話がなっていた。受話器をとり同時にテレビをつけると耳からは『帰ったら帰ったと電話せんか!』と叔父の声、目からは『日本航空123便、墜落の模様』と緊急速報の文字が飛び込んできた。

全身に鳥肌が立ち、叔父のどれだけ心配したかという話もあまり聞こえていなかった。実家にも東京で会った友人にも18時発の飛行機で帰ると伝えていたので、みなテレビに映った登場者名簿に私の名がないかと心配してくれていた。

運命だったのか、それでも申し訳ない気持ちがあり永いこと人に話せない体験となった。慰霊登山のニュースがあると叔母から行ってたかもしれんねと言われ、嫌な思いでいた。

30年ほど経ったころ再現ドラマのようなものを初めてきちんと見た。いまでもモヤモヤとした気持ちは消えないけれど私は生きてる。

あのとき亡くなった方々のご冥福を心より祈っています。